夜明けは訪れるのか
Emu sickS、初全国流通盤『夜明け前のジーニアス』が10月25日(水)に発売されることになりました!
こうして発売できることが嬉しいよ。沢山の人が時間を割いて、関わってくれている。
僕の歩んだ人生で出会った人たちが、次々と連絡をくれ、祝福してくれる。
いつの間にか16ビートのアザラシになった僕に。
それだけで、あぁ、バンド続けていて良かったなと思ってる。
しぶとく、しぶとくバンドを続けていて良かった。
大学1回生の時に、Emu sickSというバンドを大学の軽音サークルで組んだ。
なんでだったんだろう。先にライブすることが決定していて、曲を作っていた。
大学の先輩から「早くバンド名決めないと「すごいうなぎいぬ」って名前にするぞ」といわれた。
それは嫌だった。
僕は動物の名前を入れたかった。完全にフィーリングでエミューを入れたくって提案して、なかじんが「sicks」を入れた。僕はハワイアン6みたいだなって思った。
それで初ライブに向けて曲を作ったりしたんだけど、ノウハウも何もない高校生に毛の生えただけの僕たちは、しっちゃかめっちゃかだった。
なかじんと、その時は違うメンバーが二人いたけど、初ライブ前にあまりにも合わなくて分裂した。
なかじんと南海中百舌鳥駅で「誰とバンドやるのがいいやろー?」とか言いながら、同期の大善とまさきを誘った。
二人とも何だか誘ったら断らなさそうだったから誘った。案の定OKだった。ちょろい。
しかし曲はできないし、大善は大学からベースを始めたりで結局初ライブは半分くらいコピーの曲を入れてやった。BACK HORNのコピーとかした。今もそのライブ音源を聞くと高熱は出るわ吐き気が止まらないわで呪いの音源と呼んでいる。
その初ライブを組んだブッカーが現knave、当時FUZZでブッキングをしていた倉坂さんだ。倉坂さんはthe denkibranというバンドをやっている。
目も当てられないライブをした僕らに、なんかしっかりとしたアドバイスをくれたり、親身になってくれた。なんかライブ続けようって思った。
それから1年はFUZZのみだけしか出ていなかった。何の目的でバンドを組んでいるのかもはっきりとせず、持て余した大学生の時間を裂き続けていた。
そんなある日、「京都のCUSTOM NOISEってバンドが出るけど出ない?」って倉坂さんに言われた。
「なんかすごいバンドと対バンできるぞ…!」と意気込んで、対バンしてみると、ボコボコに打ちのめされた。カスタムすごすぎ。カスタムノイズは無敵だった。
そんなカスタムノイズから、「君らの今日のライブの1曲目いいやん」と言われた。
舞い上がった。FUZZY GIRLという曲だった。今聞いたら恥ずかしくなっちゃうクオリティなのに、「良い」って言ってくれたのだ。初めて肯定された気がした。しかも、ライブが無敵の人に。
それで思いっきりカスタムに影響を受けた曲を作りまくった。カスタムノイズが僕らを堺のライブハウスから連れ出してくれて、難波ROCKETSでライブすることに。その時memento森とかとも対バンして、僕らは再びボコボコにされた。ちょっと泣いていたんじゃなかってくらいボコボコにされた。
これが市内ライブハウスのしのぎを削る戦場なのか…!
僕らはまた堺に引っ込んだり出たりしながら天王寺Fireloopや心斎橋FANJ等にも活動範囲を広げていた。それが2009年〜2010年頃の話だったと思う。その時大学2〜3回生くらい。
こうして今もお世話になっているThe denkibranの倉坂さん、CUSTOM NOISEの安齋さんと出会ったのだ(『夜明け前のジーニアス』は安齋さんのレーベルからリリースすることになっているのだ、巡り巡った出会いってすごい。)
はてさて、その後Emu sickSはキュウソネコカミと出会って神戸に行ったり、ゲスの極み乙女。と対バンしたりするのだけれど、その続きは明日にでも。
Emu sickS 16ビートはやお