アルバム100枚できるかな
この1週間くらいは家に帰ると疲れてすぐ寝てしまっていた。
なんだかひどく疲れていて、疲れている理由をとりあえず文章化して落ち着きたいと思っていた。
《1》
「歴史は繰り返される。」
歴史が「暗記もの」の教科として見られている限り、黒死病も魔女狩りもオイルショックも繰り返されてしまう。
歴史は「過去の人の生きる姿をみて、今の自分達の人生にどう活かすか」を考える学問だ(と僕は思っている)。
ここのところ精神を揺さぶられて疲れることが多く、有事の際に真っ先に削られるのは「文化」だと痛感する。
文化が削られると、心が枯れてしまう人がやはりそれなりにいる。僕も。
日々、文化(に基づく娯楽)に活力を見出し、労働なり人間関係の疲れなりでくすんだ心を快復する拠り所として大事にしている人もそれなりに存在する。
健康な生活サイクルを回すのに、文化、それはライブであったり映画であったり絵画であったり漫画であったり漫才であったりそれぞれだが、必要な人は間違いなく居る。
そして起きてしまった有事の傷口を大きくしたりするのは人間のエゴだ。
それが政治に基づいていたり、宗教に基づいていたり、経済に基づいていたり、様々なイデオロギーや建前や大義名分が複雑に絡み合っているにせよ、問題を大きくするのはいつだって人間のエゴがほとんどだ。
エゴが平和の足元をすくい、生まれた不安の火が燃え上がればヒステリーになり集団に伝播し、真っ先に文化がダメージを受ける。中止とか自粛とか開催とかの判断の是非や賛否は置いておくにせよ、そこに至るまでの文化のダメージの受け方が痛ましかった。
そんなことは歴史を振り返ればいくらでも前例が在る。
人間は結局何も学ばないのか、それともエゴが歴史の教訓を超えていくのか、はたまた歴史は綺麗事の、対岸から警鐘しか鳴らせないのか。
《2》
素人ながら、合計するともはや人生の半分くらいは歴史と音楽に興味を持って暮らしてきた自分にとっては、
ここ数週間の人間のエゴと不安の火事に包まれて勝手にしんどくなっていた。困憊していた。
声が、というか他者に配慮のない主張が大きい人、向こう岸から批判しかしない人の文字や無責任が迫ってくる気がした。
シンプルに、文句ばかり言って何もしない人は苦手だ。
言うこと自体は大事だけれど、有事になると思いやりや配慮がなくなってただただ声が大きくなるのが本当に心にくる。
できるだけ毎日、いつも通り暮らそうとは思っている。入念に手を洗ったりうがいをするのは勿論だけれど。
いつも通りスタジオでドラムを叩き、良い音楽を追求したり、ああでもないこうでもない、
あれがかっこいい、これもかっこいい、ああいうのしてみましょう、もう一回かっこよくなるかもしれないので試してみましょうとか、
世間が落ち着いた時に自分の中の文化大爆発が訪れるのを期待して毎日気をつけながら楽しく過ごすようにしている。
悲しんでいても勝手にダメージを受けていても時間は過ぎてしまうので、今のうちにアルバム100枚くらい作りたいな。
ZOOZは今年40枚アルバムを出すと(冗談で)言っていましたが、60枚増えてしまいました。すみません。
4月に1枚出す予定なので、後99枚。楽しみにしていてくださいね。今からレコーディング。