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夜明けは訪れるのか(3)

2017年10月25日(水)にEmu sickSの初全国流通盤『夜明け前のジーニアス』が発売されます!!きゃー!嬉しいー!!

予約はこちら

http://tower.jp/artist/2200819/Emu-sickS

『夜明け前のジーニアス』の発売を記念してブログを書き始めたら、気がついたらEmu sickSの歴史を振り返る内容になっていました。2008年に結成し、2012年3月、大学を卒業して、それぞれの進路に進んだ4人。山口県やら京都やら、大学院生や社会人や、バラバラになった4人の活動のペースがぐっと落ちた頃から今回のブログは始まります。

2012年の4月1日が日曜だったので、学生最後のモラトリアムと称して京都GROWLYに出た。

その頃にはCUSTOM NOISEの安齋さんもGROWLYに勤めていたので、「おうお前ら、明日から社会人か!社会頑張れよ!」みたいな感じで話していた。

その後、大善は研修で暫くの間山口県に行ってしまった。練習も頻度が落ちた。だって、3人で何をしたら良いのか分からなかった。

この頃は、サポートベースに当時Chain Re:Actというバンドで大学の後輩である藤田くんに頼んでライブをしていた。ありがとうね。

とはいうものの、土日しかライブができないバンドの風当たりは当時まだ強かった。「社会人バンド」はただの夢を諦めた趣味バンド。そんな捉えられ方が普通だった(気がする)。2012年5月4日にライブをしてから、次のライブが全く決まっていない状況になった。次のライブが8月26日のFIZZ企画の日になるので、実に3ヶ月以上ライブが空いていた。

かといって、ライブに飢えていたわけではなく、僕は新しい大学院生活に慣れるのに必死だった。全てが新しい環境で、そして学業に揉まれまくってバンドどころじゃなかったし、バンドをしていないことに対して特に危機感もなかった。

このままバンド終わるのかなぁ、とも思わず、必死に大学院生活を頑張っていた。それはそれで第二の青春のような、不思議な生活だった。勉学に必死だったし、そうすることが何より第一だった。

今まで出ていたライブハウスとの縁が一度ほぼ全て切れてしまった。Fireloop野津さんとFANJこんぼいさんだけが、ずっと僕らを引き繋いでくれていた。感謝しかない。

2012年は年間通して11本しかライブをしていない(2017年の9月は9本ライブするから、比べたらとんでもなく少ないのが分かる。)。

ちなみにこの年の9月にナードマグネットというバンドと出会った。いいバンドだなって思ったし、何より、その頃サポートギターだったふじーさんは、リケッチアというバンドで対バンしたことあったので顔なじみだったのだ。(リケッチアというバンドで対バンした時、ふじーさんはMCで向井秀徳の完コピMCを披露して激スベっていた。空調の音がライブハウスに響き渡った。)

出会った頃のナードマグネットはこのイメージ。

確かこの日、結構ライブハウスはスカスカだったけれど、かなり前の方で初対面のナードのともこさんが僕らのライブをじっと見ていたのを覚えている。

打ち上げの時、ナードの須田さんが「ともこが他のバンドのライブをじっと見るのは珍しい」って言っていた(と思う)。なんか救われた気がした。

そして、彼らがバンドマンでありながら社会人であることにも救われた。

この時のライブですらサポートベース藤田くんに頼んでいた僕たちは、なんかこれからもライブできるかもなって感じた。

(ちなみにこの日、HOLGAという現レベル27の奥田くん率いるバンドとも対バンしたけれど、「死にたい、家から出たくない」って言ってて関わっちゃいけない人だとしか思わなかった。)

そんなこんなでまたまた12月までライブが空いてしまい、トリプルファイヤーとかと対バンした。NONONOという、大学の先輩が引っ張っていたバンドがいたんだけれども、このバンドの活動にも勝手に励まされていた。どんな環境だって、音楽が好きならバンドできるんだ。(何回かサポートもしたことがある。だからこそ後のNONONOの解散は悲しかった)

Flat Out(合ってる?)っていう曲が好きだった。

このあたりから、大善が名古屋に異動になって、名古屋から通いでライブをすることになった。いや、大善、すごいよ。片道2時間半だぞ。

このころからポツ、ポツと、月1本くらいのペースでライブを打ち続けることになる。心斎橋FANJ、天王寺Fireloop、そして企画に誘ってくれるバンド、こういった人たちに支えられながら少しずつ復調し、とある日こんぼいさんから「ヒップホッププログレバンド(?)が今度大阪にライブしに来るんだけどどう?」っていう感じでお誘いがきた。ちょっとゆるいヒップホップっぽい感じ、ということだけが知らされた。

僕らは何の気なしに予定も空いていたのでOKを出した。

このヒップホップっぽいバンドと呼ばれていたのが、ゲスの極み乙女。である。

そして僕らは2013年4月6日にゲスの極み乙女。と対バンすることになる。

この日が僕達の転機になったことは言うまでもない。

次回に続く(ブログの引っ張り方うまくない?うまいよね?)。

Emu sickS 16ビートはやお


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