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夜明けは訪れるのか(7)

Twitterで流しているEmu sickS全国流通盤フルアルバム『夜明け前のジーニアス』トレーラーよりも、新曲を長めに収録したトレーラーを公開しました!

良い音源ができたぞ。

予約はこちらから

(普段お世話になっているタワレコあべのHoop店で予約を増やしたいと思っておりますが、みなさまのご都合もあるのでおまかせしますね)

早速本題に入る前に余談に逸れまくりますが、この歳になってもなお、最近「本当にやりたいことはなんだろう?」と考えることが多くて、いつも答えは「バンドやりたい!16ビート叩きたい!」なんだけど、そう思うにつれて自分が一般社会というものに馴染んでいけなくなっている実感があって。一般社会ってなんだ?となるのです。

「あぁ、僕は資本主義に最適化された人たちとは相容れることがないんだな」と思ってしまう。僕は本屋に行ったら「ビジネス」のコーナーよりも「哲学・歴史」とかのコーナーに行ってしまうので、相容れないのも頷ける。

稼ぐことより、大事なことがあるだろう、と考えてしまう。資本主義と相容れない「自分のやりたいこと」なんていくらでもあるのだ。そんなときに、音楽にどうしても救われてしまうのだ。困ったものだ。

そんな困った気持ちが増大していく契機は2014年の活動にあったのかもしれない。一気に色々広がった。

2014年3月に新音源『OKEREKE』を発売した。当時の僕らの最高傑作だった。

もう、当時の僕はOKEREKEは革命的な作品で、間違いなく認められるぞ、と感じていた。

それをもって「攻撃するぞ!」と息巻いていた。今聞いても僕はすごく好きなんだけど、なんというか、今のEmu sickSの基本が出来上がっていた。少し暗めで荒削りだけど。

そんなときANTENNAという京都のDJ+LIVEイベントがあって、そこと心斎橋FANJとが共催するイベントに出演することになった。

ANTENNAは5〜6人位のDJ集団で活動していて、最初僕はこんな感じにみえていた。

「怖い+得体の知れない人たち+どんな攻撃をくりだすか分からない人たち」

「あぁ。イケイケのDJなんて、一生仲良くなれない」

「音楽本当に好きなのかな…」

これらは全て僕の偏見からやってきた誤解だった。

実際企画をともにさせてもらうと「この人達すげー音楽好きじゃん!!最高じゃん!もっと仲良くなりたいよ!!!」と思った。

イベントが終わると僕は彼らのことをこんな感じでみていた。

2014年はなにかとDJさんと対面する機会が多くて、雪が溶けるように「DJの人って面白い!」と感じるようになった。

そんなこんなで、DJイベントの面白さに足の爪先を突っ込んだところで、再びちょこたんさんからお声がかかる。

「東京と名古屋でライブしませんか?」

勿論答えは「Yes」。

東名両日とも一緒回ったのは、仙台のコンタミントと広島のペロペロしてやりたいわズ。(名古屋はムカイダーだけだったけど)だった。

コンタミント

ペロペロしてやりたいわズ。

いま思い返しても「何だか濃かったねー!」ってなるんだけど、具体的に何がどう、濃かったのかまでは曖昧で思い出せない事が多い。コンタミントもペロペロしてやりたいわズ。も当日までは会ったこともなくて、初対面だったんだけれども、この2日間で仲良くなったのは覚えている。断片的な記憶しかでてこないけれどもね。

あ、確かムカイダーは当時Twitterのアイコンがリスで、バームクーヘンが好き、みたいな情報しかなかったから、「けっこうヤバい人かもしれない」と一方的に思っていた。良い意味で結構やばかった。

なにせ流れるような日々だったのだ。でも、ケラケラ笑いながら「仙台、広島、大阪のバンドがこうやって縁もゆかりもない東京と名古屋を一緒に回るのって不思議だねー!」って話していたりした。名古屋の打ち上げでは僕のiPhoneにご飯が盛られていた。

そしてその年の夏、福岡のどんたくさんという、もはや福岡のインディーズを牛耳っているのではないかとも思われるほどの愉快犯的な人物にライブをお呼ばれした。

勿論僕らは福岡に向かった。

これが福岡の洗礼だよと言わんばかりに、世界のザキというバンドに出会った。

壊れたPavementのようだ。彼らはライブが終わるとしゃもじを配っていた。

福岡ってすげー土地だなと思った。

ともあれ、どんたくさんのおかげで、福岡が一気に好きになった。

バンド活動の深みがまして、かつ活動範囲がかなり広がってきて、「お?もしかしたら有名になっちゃう?」とか幻想をいだいていたりした。

一方で僕は、この年の3月に大学院を修了し、なんだかんだあって1年間就活をすることになった。

あっさり夏前には就職先がみつかり、翌年3月には長年勤めていたバイトのお好み焼き屋を辞めることが決まっていた。しかし、いろいろあって辞めるまでの間はバイトのまま店長業務をしていたりした。気楽で楽しかった。

2014年は結構自由奔放にライブハウスにも出入りしてたし、気楽に生きていたと思う。

そんなこんなで、この年の秋から僕はEmu sickSと並行してThe biensというバンドにサポートメンバーでありながら初期メンバーとして加入することになる。

まじでこの2000年代後半のポスト・パンクリヴァイバルが詰まったサウンドが大好きだ。格好良い。

やっぱり僕は、色々足を突っ込むのが好きなのだ。

続きはそこから。

Emu sickS 16ビートはやお


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