夜明けは訪れるのか(9)
Emu sickS初の全国流通フルアルバム『夜明け前のジーニアス』の宣伝をすべく書き始めたこの連載ブログ。よ、予約してくれたら嬉しいな…!
■タワレコ
http://tower.jp/artist/2200819/Emu-sickS
■ディスクユニオン
http://diskunion.net/portal/ct/list/0/72363749
■HMV(H&Mじゃないよ)
http://www.hmv.co.jp/artist_Emu-Sicks_000000000727630/
メタモルフォーゼが音エモンの10月マンスリーピックアップに選ばれました。嬉しすぎるよ…。月水土の深夜、10月中は毎放送流れるのでチェックしてね。あとはラウンドワンとかでも流れるらしい。みんな一緒にホーリング行こう。ピンは16本ね。
Emu sickSというバンドの歴史を振り返るブログもようやく、ようやく2015年に突入しました。
年を取れば取るほど言い訳つけて保守的になってリスクばっかり考えてなにも面白いことできなくなっていくんだよね、と最近感じています。社会という尺度から出てくる言い訳が多くなってくる。そういう社会自体を一刀両断するビートがそろそろ必要だと思いせんか、ねぇ。
とここまで書いておいてなんなんですが、2015年の僕は、超リスク回避の選択肢「公務員」となり、Emu sickSとThe biensを続けていたのでした。
4月には「西日本フェス」というどえらい名前のサーキットイベントに出た。
といっても、大阪、京都、広島、福岡の4箇所に分けて、それぞれの日程、それぞれサーキットイベントが行われる、というものだった。
大阪編の責任者はFANJのこんぼいさん。「当然4箇所4日程全部出るよね?」って感じで言われた。
「じゃあせっかくの機会なんで全部出ます!」
蓋を開けたら総勢40バンドくらい出てたんだけど、全日程参加していたのは僕ら含め3バンドだけだった。ちょっと騙されたと思った。
けれど、この西日本フェスで色んな人と出会った。
まずは広島でピカピカ☆異伝子。
同じ会場で、会場入りしたらすごいメイクの3人がいて、広島の闇は深いなと感じた。
完全に狂っているんだけど、オトナのコロコロコミックかというくらいにふざけていて、笑いが止まらない。
ライブは自由だなと、そう思った(と同時に西日本フェス攻めてるなと思った。)
そして福岡のabout a ROOM。
この時はまだそんなに話してなかったんだけど、このあと仲良くなるきっかけのイベントになっていた。
そんなこんなで、イベントに全力で乗っかっていくと、ちゃんと得るものがあるんだなとわかった。
ただ受け身でいるだけじゃなにも残せない。
2015年は「ライフイズ16ビート」という個人企画もした。
ペロペロしてやりたいわズ。
コンタミント
世界のザキ
The Stone That Burns
ナードマグネット
Emu sickS
の6バンド。2014年に出会った人達と、関西の頼れるバンドとをミックスしたイベントだった。
今振り返ってもすごい良いメンツだ。というか、今このメンツでやったらライブハウスパンパンになりそうだな…。
そして2015年は名古屋の大型サーキットイベント、サカスプに出た。
なぜ出れたのかは一切わからないけれど、知名度がなさすぎて、絶対お客さんを集めれないと感じたので、
16ビートアザラシコンピを作った。それがすべての始まり。
ゴルベティのボーカルさんがいたり、勝手にテンションが上っていた。
このころから、あれ、もしかしてバンドとしてそれなりに整ってきたんじゃないか、と思い始める。
なんというか、インディーズで先陣切って戦っている人と一緒になる機会が多くなって、これが最先端か!と思っていた。
この時期にミスタニスタと出会う。ライブ中にドラムのシバガキ君に叩かせている間、ベースのジョーザキくんとボーカルのウエムラくんがバーカウンターにビールを買いに行ったりしていた。
なんか変なやつだけど面白いかもと思っていた。ジョーザキくんは終始ハキハキしていた。
そうそう、この時期くらいから、あんまり先入観をもって人を見ることが少なくなった気がする。ライブがいいバンドはだいたい人柄も良い、ということに気づき始めた。
ボトルシップも発売したし、ヤバイTシャツ屋さんやポルカドットスティングレイとも対バンした。相変わらず僕らは売れなかった。
ちなみにこの動画、世界のザキのゴシゴシおじさんのイベントなんだけど、Emuの他にポルカのライブも入っている。タイトルとかでポルカが引っかからないから超レア。
一方でこの頃、バンドとしては結構バチバチにやっているのに、なんか認められきれない、そんなジレンマで悩んでいた。今もだけど。
バンドとしては自信がある。けれど、認められない。なんで。とふてくされていた。
もっと認めてくれよ!って承認欲求ばかり膨れ上がる毎日だった。
「売れ線」に嫉妬していた。
自分達の魅力が及んでいないのも薄々分かっているのだけれど、「ライブを見ろよ!地力がないとプッシュしたってジリ貧になるだけだぞ!」と憤っていた。そういう原動力は今も源なんだけれども、しっかりと根に持って、声を張って活動し始めるのはこの時期からだった。
そして、僕は公務員として社会人をしていた。
公務員と言っても、ごく少数存在する激務の部署に配属され、入庁時に課のほとんどの人が入れ替わったため、ノウハウがほとんど引き継がれていない所に配属された。帰れないし、わけの分からないものが多すぎて、死にそうだった。
引き継ぎもほとんどなければ、分からないことを聞きにいっても人の入れ替わりが激しすぎて分かる人がいないということも多く、袋小路だった。色々気にかけてくれる方もいたが、解決しようがない日々が続き、色々積み重なってメンタルがクラッシュしかけていた。毎日定時で上がるTHE公務員生活を送る同僚達のハッピーな話を聞いてトイレで吐いた。ライブの時だけは鬱憤を晴らせたけれど、それ以外は全く持って陰鬱でダメだった。
ある日朝起きてベッドから出てスーツに着替えて、家を出る時間までぐったりと横になっていた。もう家を出なきゃいけない、仕事だ、そんな時間になって体を起こそうとするけれど、体が起きなくなっていた。気付いたら涙は止まらないわ体は動かないわ、とりあえず休んだ。そして勢いで辞めた。僕は16ビートを叩きたかった。体は正直なのだ。
世の中色々あるもんだ。最近のSNSをご覧の方は分かるだろうけど、僕は仕事運が全くもってない。『夜明け前のジーニアス』が売れてくれることを祈るしかない。
僕にあるのはビートだけだ。そんなことを確信しながら、話は2016年に続く。
Emu sickS 16ビートはやお