音楽が先か物語が先か
- 16ビートはやお
- 2019年1月19日
- 読了時間: 2分
僕はこの前「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。
「QUEEN売れるの早すぎ」「天才の塊」「僕が学生の頃QUEENのコピーしたとき、何故かフレディ・マーキュリーが3人いた」ことなどを思い出したりしながら観ていたのだけれども、観終わってみたら、改めてすごくQUEENが好きになっていた。QUEENの「物語」に触れて、音楽がより魅力的に聴こえてきて、頭の中でRadio Ga Gaがずっと流れていた。超ミーハー。
はてさて、同時に「「音楽」と「物語」は釣り合いが取れていないとダサいかもしれない」という至極当たり前な結論でお腹の中がパンパンになっていた。
いや、もう少し正確に言うと「不釣り合いなくらい「物語」を強調しすぎるとダサいかもしれない」ということ。QUEENは音楽が素晴らしすぎて全然そんなことないんだけど。ずっと感じていたし答えも出ていたけれど、映画を見て改めてすっきりした。
SNSが発達したおかげで、個人の物語は追いかけやすくなったし、共感もしやすくなった。
遠く離れた全然知らない人の性格も、思想も、怒りの沸点も、ぎこちない助詞の使い方も、体の癖もなんとなく分かってしまうような時代になった。
僕がどんな人物(アザラシ)か、SNSを追っていればなんとなく分かるでしょう。
けれど物語を提示しやすくなった分、中心にあるべき音楽が疎かになる可能性も高いということ。
自分を誇張した物語を振りかざしすぎて、ペラペラに振り回して、振り回されて、音楽を見失うのは本末転倒だ。
とてつもなく当たり前なことなんだけれど、改めて自覚をした何年か前から、個人練習に入る機会が増えた。結局練習は身になり、音楽に還っていく。芯がしっかりしていれば大丈夫だ。練習は心の筋トレでもある。健全な心持ちで音楽をするのは楽しい。
そして、もし僕がQUEENのメンバーだったらフレディ・マーキュリーに振り回されて絶望するだろうなと思った。けれど、そんな絶望している自分を救うのも、音楽だけだと思った。
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