猫を堕ろすというバンドについて
猫を堕ろすの『サウンド・リクルーティング』が素晴らしい。
多少遊び心をかました(悪くいうとふざけた)レコメンドを彼ら彼女らに送ったのだけれども、後になってちょっと後悔したというか、もっと書きたくなったので、僕のブログだと好き勝手に書けるので書かせてもらおうかと思う。
とはいえ、僕は猫を堕ろすのメンバーの中で、伊藤くんが一番印象が強く親交もあるので、必然的に彼を中心に書くことになる。
猫を堕ろすとの出会いは2016年の秋。
面識のない彼らから、名古屋で企画をするから出演してくれませんかという主旨のメールが突然来た。猫を堕ろすというバンドについて何の前情報も無かった(というかバンド名が怖くて恐れおののいた)が、その頃にはすでに親交のあったミスタニスタのメンバーが猫を堕ろすの伊藤くんと高校の同級生ということ、お誘いのメールから漂う「イベントが近くて切羽詰まってます助けてください感」をひしひしと感じて出ることにした。
初めて会った伊藤くんは、人見知りだけど精一杯の礼儀正しさでふるまってくれているようなぎこちなさがあった。ただ、それが僕にとってとても良く写った。失礼ながら同じ匂いがした。
なんだかんだでそれから付き合いのある猫を堕ろすのメンバーなのだけれど、事あるごとに僕は彼らを「新人類」だとか「ニュータイプ」だとかの言葉をもって形容していた。
今になって思えば、彼らは新人類でもニュータイプでもない。
僕のあまりにも狭い音楽的視野が招いた稚拙な表現だったことに『サウンド・リクルーティング』を聴いてから気づいた。恥ずかしくなった。
彼らはただただ、正直に、あまりにも正直に「自分達の音楽」を表現していた。
『サウンド・リクルーティング』を聴く前まで、僕の脳内の音楽的思考回路はファミコン並みに単純化され、テンプレ化されていた。「バンドとはかくあるべき」みたいな視点、何重ものフィルター、色眼鏡を通して彼らを見て、聴いていた。
だから、彼らのことが自分の引き出しの中にはないもの=新人類に見えていたのだ。
新人類と形容することで、自分の葦よりも折れやすい音楽的アイデンティティを保っていただけだった。
だから『サウンド・リクルーティング』を聴いた時に、すごく目覚めた気がしたし、勇気をもらった。音楽でぶたれた気がした。
そして、伊藤くんという人物は面白い。
なんだかちょこちょこ僕に連絡をくれる。
話すたびに、彼はもしかしたら「ミノタウルスの皿」に出てくる主人公のような体験を、進行形で地球でしているのかもしれない、と感じる時がある。人間の作った社会の定規はあまりにも硬く、彼には上手くはまらない(というか、はまらなくて良い)。
僕は彼から連絡をもらうたびに「かっこいいよ」「それ良いよ」「楽しいよ!」「それ、めっちゃ面白い!」って本心で言い続けてきただけなのに、果てはレコメンドの依頼をいただき、スペシャルサンクス欄に名前まで載せてくれて、なんだか恥じ入ってしまう。猫を堕ろすの音源の一部になれた気がする。
これ、レコメンド全文。
(画像拝借しましたすみません。ダメだったらすぐ言っておくれ、このブログを見るであろう猫を堕ろすのメンバーよ。)
レコメンドに自分で補足をするのはめちゃくちゃダサい(というか、僕がレコメンドの文の中で収めることが出来なかった稚拙さが露呈しまくってしまう)のだけれど、あれは、音源の4曲目まで、僕なりの表現で紹介したつもりだ。
聴く人にとっての音楽的琴線にふれるような仕掛けがいっぱいあって、それを僕バージョンでゴボッと途中までそのまま抜き出して書いたら、あの形になった。
もともと全曲あんな感じで書こうと思っていたけれど、5曲目以降のレコメンドを書いていないのは、あんまり僕の思い出でいっぱいにするのも申し訳ないなと思ったからだ。
大事な音源に名前を連ねてくれるなんて、ポジティブな意味で「愛とかもう特にわからない」よな。お、文章が締まりそうな気配がしてきたな。
愛には愛を、音楽には音楽で返していきたいと思う。おやすみなさい。